但馬地方を紅葉ドライブし廃墟をめぐる

先日のお仕事休みに、但馬地方へ紅葉を見がてらドライブに行って来ました。

 

まずは、播但道を通ってお昼ご飯を目指し向かったのは道の駅あさごへ。

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いつも寄る高速のSA「フレッシュあさご」ではなく、国道312号線沿いの道の駅です。

 

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近くで収穫された野菜などが説明付きで販売されてます。

 

道の駅の横に多々良木川と言う川が流れており、夏には蛍がいるらしいです。

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さて、お昼ご飯が目的なので何を食べようかな♪

 

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なんと、竹田城に因んだ雲海そばと言うそばがありましたのでチョイスいたしました。

うまい!

残ったトロロはご飯にぶっかけていただきました。

お腹も一杯になったところで、出発です!

 

 

 

 

今回但馬へ向かったのは、養父市にある神子畑精錬所跡と明延鉱山へ訪れるのが目的。

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兵庫県の丁度ど真ん中と言う感じでしょうか。

かつて但馬には、生野銀山に並び、明延鉱山そして神子畑鉱山と模範鉱山として日本の近代化の一躍を担って来たと言われる鉱山が有りました。

まずは、その神子畑鉱山の後選鉱所となった、神子畑選鉱所跡へと向かいます。

 

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奥のコンクリート建造物が選鉱所跡です。

2004年までは建物も残っていたらしく、当時は、

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このような大工場だったのです。最盛期は約3000人が働いたといわれ、規模、生産量ともに東洋一と称されるほど栄えていたらしいです。

山奥にこのような大工場が有り村が栄えていたと言うのは現在では不思議な光景ですよね。

 

そして、その昔JR播但線の新井駅から鉄道で明延鉱山まで繋がってました。

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地図の赤いラインが昔の廃線跡です。

 

その廃線の神子畑精錬所から明延鉱山までをまっすぐと貫くトンネルで結ぶ上部軌道と呼ばれた鉄道、乗車料金が一円だったので「一円電車」と総称されていた明神電車です。

 

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上部軌道を走る電気機関車。なんとも可愛らしい機関車です。

 

新井駅から神子畑精錬所までは下部軌道と呼ばれ、昭和32年に廃止。しかし神子畑精錬所から明延鉱山までの6キロの区間は昭和62年まで走っていたらしいです。

 

つい30年前までこのようなトロッコが一般の人々を乗せて走っていたとは驚きです。

 

 

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インクラインと呼ばれる選鉱所の上下を結んでいたケーブルカーの線路は撤去されず残っていました。

 

 

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廃墟マニアには堪らない建造物なのではないでしょうか。この建物は「シックナー」という設備で、液体状になった鉱石を遠心力で鉱物をそれぞれ分離回収するため円形状になっています。

少し恐怖が漂いますーこの廃墟感(汗

 

 

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選鉱所の前の神子畑川を渡る神子畑鋳鉄橋と山深い緑が美しいです。

神子畑を後にし明延へと向かいます。

 

ここからは結構な山道。一円電車の上部軌道がなぜ長く残っていたのかが分かります。

 

 

 

ドライブ途中の山道の紅葉がとても綺麗です!

 

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丁度、見頃の色付き加減です。

 

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明延鉱山入口に到着です!

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鉱山内部は、あけのべ自然学校で予約を取れば入れるらしいです。内部は当時のまま残っているらしい。

 

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時間がなくなって来たので、明延の町並みをゆっくりと見て回ることはできませんでしたが、とても山深い村です。

 

明治維新後、日本初の官営鉱山となった生野鉱山、神子畑鉱山、明延鉱山は、西洋の進んだ鉱山技術を導入するためフランス人技師を招聘し、近代化の模範鉱山の第1号として日本の近代化を牽引してきました。特に生野鉱山は、日本初の最新技術が数多く導入されました。機械式製錬技術や本格的な火薬による発破法の他、鉱業用送水路やダムの建設、トロッコ軌道(鉱山鉄道)の敷設、日本最初の鉱山学校の設立など、近代化日本の鉱山開発はまさに“ここ”から始まったのです。(平成16年に「鉱石の道」と命名されました。鉱石の道より)

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平成19年には経済産業省の近代化産業遺産群に認定されました。今も残る鉱山遺産とともに鉱山町の景観、歴史、生活、文化など様々な地域の姿を通じて、日本の鉱山史を丸ごと体感できる貴重なエリアです。

 

バブル経済までの高度成長期を支えた山奥の炭鉱の町、今となっては当時の活気溢れる風景はすっかりなくなり、かつての穏やか静かな山深い村へ再び変貌を遂げました。そのように感じながら村を歩くと少し哀愁が漂います。

 

今後、第4次産業革命がやってくると言われていますが、このような産業遺産を歩いて歴史を知る事によってモノの見方も少し変わりそうです^^

 

 

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