猛暑のうどん巡り1泊2日香川観光旅②四国ミウゼアム

琴電で屋島へ到着しまして、お目当てのうどん屋さん「わら家」さんがとんでもない大行列なので、向かいにある四国ミウゼアムへ訪れてみたいと思います。

わら家さんから道を挟んで山側にすぐ入場ゲートがあります。今日は令和5年8月13日のお盆の真っただ中です。尚且つ香川県の気温38℃と中々厳しい猛暑の中の訪問ですから覚悟して向かう事にいたしましょう。

今回記事、四国村散策が思いの外非常に長くなってしまったので目次を用意いたしました^^;

  1. ◆PM1:20 四国ミウゼアム入園(かずら橋―丸亀藩御用蔵)
  2. ◆PM1:55 四国ミウゼアムを歩く(産業遺構エリア①)
  3. ◆PM2:15 四国ミウゼアムを歩く(灯台エリア)
  4. ◆PM2:30 四国ミウゼアムを歩く(滝エリア)
  5. ◆PM2:55 四国ミウゼアムを歩く(アートエリア)
  6. ◆PM3:20 四国ミウゼアムを歩く(村前から醤油蔵のエリア)
  7. ◆PM3:40 ざいごうどんを食う(わら家)

◆PM1:20 四国ミウゼアム入園(かずら橋―丸亀藩御用蔵)

四国村ミウゼアムとはどの様な施設なのかと言いますと、屋島の麓にある約5万㎡の敷地に四国を中心とする伝統的な古民家や歴史的建造物30棟を移築復原された野外博物館です。

▲クリックすると拡大します

マップの若い番号から進んで行くとスムーズに回ることが出来るようです。

園内は屋島の麓とは言え、90m程度の高低差があり上ったり下りたりとしながら進むことになります。緩やかな坂を上ると、まずは四国村名物のかずら橋へ進みます。

かずら橋は徳島県三好市にある橋が有名ですが、葛類を使って架けられた原始的な吊橋です。

現地にあるかずら橋と同じ造りで作られており、渡るとなかなかスリルが味わえます。とは言え、長さや高さは本物に比べると小さいし低い位置ですので安心です。

かずら橋を超えると小豆島農村歌舞伎舞台と言う実際小豆島の小部地区から移設された舞台にたどり着きます。

こちらではイベントの開催や節句飾りの展示をおこなう野外劇場として活用されているみたいです。観客席は石垣を用いた階段式になっています。この日はたくさんの風鈴が並んでいて、風に靡いて涼しげな音色を奏でていました。

ミウゼアムに入ってからは割と日影が多く風があるんですよね。なので先ほどまでの体力の消耗はなさそうです。まあ言うても暑いですが^^;

インフォメーションセンターに到着しました。ここで少し休憩するのが良いです。

丸亀藩の御用蔵を利用した建物内は冷房がしっかり効いており、映像を見ながら四国村の案内やそれぞれの建物の説明などをインプットします。かつての四国での暮らしが良く分かります。

さてインフォメーションセンターから細い山道を少し登ります。

香川県の東端、徳島との県境に近い山腹にあった農家の住宅だった山下家住宅が見えてきました。東讃岐地方の一般的な山村農家で約11坪の小さな民家です。

このような小規模な民家を俗に「周囲八間(ぐるりはちけん)」と呼ぶのだそうです。土間、床張りの1部屋、奥に寝室を1室囲っただけの素朴な間取りです。

山下家住宅の横に、徳島県美馬市脇町から移築された森野家住宅の風呂と便所があり、昔は母屋とは別に、離れて作られた風呂と便所がありました。

◆PM1:55 四国ミウゼアムを歩く(産業遺構エリア①)

再び細い小径を進めば大きな石畳の広場に到着。

入口から続く「流れ坂」の最終地点付近となる、大きな石が敷き詰められた広場にたどり着きました。この広場から、山側に沿って茅葺き屋根の古民家が並び美しい光景が広がります。

その中央に見えるのが愛媛県南の山間部の急斜面に建っていた河野家住宅です。土間とチャノマ、ザシキと呼ばれる床は竹簀子、南予地方の標準的な横2間取りの農家です。

チャノマには和紙の原料を蒸す大釜があり、各農家ではこの様な間取りが一般的だったそうで和紙製造も行われていました。

山道を少し入るとまた建物が現れます。山裾を歩きながら四国の様々な家屋や建屋が見えてくる光景は楽しいです♪

見えてきた円錐形の小屋は砂糖小屋です。

かつて香川県では「讃岐三白」と呼ばれた 砂糖・塩・綿の生産が盛んで、特に「和三盆糖」で知られる香川の伝統的な砂糖はこの様な建物で製造されていました。

さらに歩くと再び円形の建屋がありました。同じく砂糖製造小屋ですね。

なぜ円形なのかは、仕組みを理解すれば なるほど となります。

小屋の中央には、「しめぐるま」と呼ばれる歯車の付いた石臼の装置があります。石臼の間にサトウキビを挟み入れて汁を絞り出す仕組みです。そしてこの円形の小屋を牛が回ってしめぐるまを回します。言えば牛がエンジンのようなものですね。

しめぐるまでサトウキビを絞り出す作業は非常に危険を伴います。ヘタすれば指ごと挽かれてしまうかもしれない作業。そのような事故を防ぐための仕組みなども詳しく説明があります。

さてまた少し山道を登って行くと小さな小屋が見えてきました。

「游庵」と言う愛媛県広見町の上組地区が所有していた茶堂だそうで、土間と床張りの一間のほか、奥に祭壇があります。村人の信仰の場や道行く人にお茶の提供をする接待の場として活用されたとのことです。

四国は八十八カ所の霊場を巡礼する「お遍路」が有名ですが、江戸時代には修行僧だけでなく広く一般庶民が行う文化として広まりました。現在も多くの人々を惹きつけ、お遍路人口は年間数十万人にものぼるといわれています。

その際、お遍路さんに食べ物や飲み物をふるまったり、無償で宿や休憩所を提供したりするお接待(おもてなし)の文化がこの茶堂から感じ取れます。今も四国各地にお接待の風習が根付いています。

傍らに「カンカン石」と言う綺麗な音色が響く意思があります。これは今朝訪れた香川県立ミュージアムでも勉強したサヌカイト(讃岐岩)とも呼ばれ、屋島をはじめとする香川県北部地域に広く分布する古銅輝石安山岩の一種です。瀬戸内地域で起こった火山活動のマグマが冷え固まってできた岩石です。

遊庵から奥へ延びる竹林の道を通って行くと分かれ道がありウミウシのようなモニュメントがありましてそれを超えると灯台エリアに入ります。

◆PM2:15 四国ミウゼアムを歩く(灯台エリア)

四国村の最も高台に位置する灯台エリアまでやってまいりました。

このエリアには瀬戸内海の島々にかつて建っていた灯台、灯台退息所などが移築されています。

高台に着くとまず、大久野島と言う戦時中に毒ガスを製造する軍事拠点であった島の灯台が聳えます。広島県忠海町の沖合に浮かぶ周囲4キロの小さな島で今は野生のウサギが多数生息する島として多くの観光客に人気の島です。

そこから奥に向かって灯台守の家族が寝泊まりするための灯台退息所が3棟並びます。手前から淡路島の北端にあった江埼灯台退息所、香川県坂出市の沖にある鍋島灯台退息所、愛媛県松山市沖のクダコ島灯台退息所。

大久野島灯台以外は、建物内も見る事ができます。

灯台エリアを超えるとぐるっと回りながら坂道に入ります。みはらし坂です。

高松市内を一望しながら下ってまいりますと、再び四国村の中心部へ戻ります。

訪れ損ねた建屋があったので立ち寄ります。楮蒸し小屋。

先ほど愛媛県の山間部の民家を訪れた際に目にした和紙の原料を蒸す大釜がありましたが、こちらは楮蒸し小屋と呼ばれ専用の小屋です。

高知県や愛媛県の山間部で特に盛んに栽培された楮や三椏。それらは和紙の原料となりこの大桶で大量に蒸すためのかまども置かれています。

◆PM2:30 四国ミウゼアムを歩く(滝エリア)

さてここからは下り道が中心になってきます。そして小さな小川が現れます。

一際大きな茅葺屋根が見えてきました。徳島県西部に位置する剣山中腹の一宇地区から移築された、寄棟造・茅葺きの民家、下木家住宅です。

標高1,000mの急な斜面に積雪が多い地域だったため、雪が滑り落ちやすいように屋根の勾配が急につくられています。

ここからさらに下りが続きます。

小川とともに小道を下ってくると、小さな滝があり池が見え中央に石組があり水が湧き出してきます。

池を回ると見えてくるのが添水唐臼と呼ばれる、穀類を精白するための装置として使われていた小屋。

“添水”とは、もともと田畑を荒らす鳥獣をおどす道具で、竹筒と水を利用して自動で石を鳴らし、音を出していました。現在のししおどし(鹿威し)は風情を感じる庭園の一つのアイテム的な存在ですが、元は水が少ない地域で利用されていた、簡単に精白ができる貴重な道具だったのですね。

さて下りが続きまして、到着したのは平賀源内と共に讃岐を代表する江戸時代の科学者・久米通賢(くめ みちかた、もしくは つうけんと読む)の住宅です。

久米通賢は江戸時代の日本の発明家でもあり、暦学者、測量家、洋学者などと多才な遍歴の持ち主で、伊能忠敬よりも早く日本初の実測地図を作った人物であるとの事。地元香川県では偉人として顕彰されており、「讃岐のエジソン」「塩田の父」などと称されています。

坂出付近に広がっていた塩田を大規模なものに開発し、全国の塩の生産量の半分近くを坂出塩田が占めるまでに成長させたのも彼でした。

屋内は広々としており少し休憩がてら涼みます。

さらに下るとかずら橋で有名な場所、祖谷(いや)の民家、中石家住宅がそれぞれ主屋、納屋、隠居屋と並びます。

徳島県の西部にある、平家の落人村として有名な祖谷の民家です。

等高線に沿った細長い敷地に、主屋、隠居屋、納屋が一列に並んで建っていたそうです。間取りは主屋と隠居屋のどちらも土間のない2間から構成されており、厳しい寒さを凌ぐために各部屋に囲炉裏が切られているのがこの地方の特色です。

中石家住宅の裏手に歩くと大きな滝が見えてきます。

石組と同じく彫刻家の流政之 が設計した、幅12mの石と水による芸術作品が広がります。

流れ落ちる滝と心地よい風が吹きなんとなく涼しい感じ。

だいぶ歩いてきましたが、行き残した箇所がありました💦

中腹にあった四国村ギャラリーと水景庭園です。しまったー(>_<;)と言うことで、再び登り坂を上っていきます。

◆PM2:55 四国ミウゼアムを歩く(アートエリア)

なんだか、お遍路みたいになってまいりました(;´∀`) 汗だくになりながらギャラリーに到着。

建築家 安藤忠雄氏の設計により2002年に開館した、美術品が展示される美術館で館内は撮影はできません。フランスの絵画の他、中国の金銅仏や青銅器・ペルシャの陶器など、様々な美術品が展示されていました。

館内は冷房が効いており、しばし涼みながら展示品を鑑賞します。

バルコニーからは、立地を生かして造られた「水景庭園」を臨むことができます。

さてさて、残るは東南のエリアのみです。この猛暑の中、四国村全てを回れるとは思っていませんでしたが、猛暑の「四国村お遍路」何とか制覇できそうです(^^)/

◆PM3:20 四国ミウゼアムを歩く(村前から醤油蔵のエリア)

さて、たどってきた個所をマップに示してみましたが、もはやどのように歩いたか図で見ても分かません💦ただ、入場してから2時間以上すでに歩き続けたという事は確かです。

アートエリアから坂を下ってきてまだ訪れていなかった手前側の村集落へやってきました。

まず目にするのは、香川県のこんぴら街道沿いにあった福井家石蔵と、県道拡張により寄進されたアーチ橋がありました。

福井家石蔵はシアタールームになっていますので、涼みながら鑑賞します。

屋島から移築された消防屯所、さぬき市鴨庄からの警鐘台、小豆島の石蔵、さらには高知県土佐清水市三崎から移築された義倉、道を挟んで白く美しい土佐の前田家土蔵があります。それぞれ出身地はバラバラですがここに移築され一つの街並みとして調和しています。

さてだいぶ体力が消耗してまいりましたが、いよいよ終盤です。

再び森の中の階段を下りていき醤油蔵へ向かいます。

長い下り坂を下りて行けば到着します。

これで最後!と思えるからこの坂を何とか下ることが出来ます(-_-;)

坂を下り切ると、大きな醤油蔵が立ち並びます。

醤油づくりが盛んだった香川県は、明治期中期から昭和10年代にかけて全国トップクラスの醤油生産量を誇っていました。

ここには3棟の蔵が移築されており、何れも醤油醸造家で長年にわたり使われてきた施設でした。現在ではすっかり姿を消してしまった仕込桶(しこみおけ)や押槽(おしぶね)など、昔ながらの用具が保管され見ることが出来ました。

さて再び下りてきた坂を登ります。

さて四国村の出入り口に向かう途中に最後の建物がありました。

香川と愛媛の県境にあたる港町 箕浦に建っていた丸亀藩斥候番所が見えてきます。鬼瓦や軒丸瓦一つ一つには、丸亀藩の藩主を務めていた京極家の家紋「平四つ目」 がみられます。

また反対側には徳島県東端、太平洋に面した断崖下の集落 伊座利地区から移築した、漁師の住宅「吉野家住宅」があります。

さてさて、2時間半近く滞在し歩き尽くしました。屋島山麓の広大な敷地に何と33棟の移築復元された建物全てを見たことになります。高低差のある立地に、四国全土の様々な生活の様子や雰囲気を実物の建物を通して見ながら想像することが出来たので非常に良かったです。

猛暑という事でなかなか疲れましたが、思った以上に見どころがあり大変面白かったです。

四国村に入って最初に渡ったかずら橋を横目に見ながら、後にいたします。

◆PM3:40 ざいごうどんを食う(わら家)

予定よりかなりの時間を費やして四国村を堪能させていただきました。猛暑でしたが時間を忘れるぐらい見所ありましたね。

さて、わら家さんの混雑状況は、少し列はまだあるようでしたがお昼時に比べれば全然少なくなっていました。

水車と茅葺屋根がわら家さんの特徴で、大きな桶に入って出てくる「釜揚げざいごうどん」が有名です。

四国村の操業と同じくカトーレックが営業するお店で、うどんで有名な事業は「加ト吉の冷凍うどん」で知られています。私も昔からよく食べていました。

釜揚げうどんが有名なわら家さんですが、ほかにもメニューはあります。

この暑さですが、折角なので釜揚げ特大を選ぶことにいたしましょう。

まずは、ビールで乾杯です。

2時間半歩いた後のビールは、何倍も美味い~🍺くぅ~

わら家のうどんは、この出汁が最高に美味いのです!お店の外から、イリコと昆布のいい匂いが充満しておりました!

うどんが来るまでに、出汁だけ飲みたいぐらいです^^;

かなり迫力ある量です!これが本場讃岐クオリティ!コシ、量、ダシの味わい、料金、全て本土とは比べ物になりません。

いやーお腹いっぱいになりました~ご馳走様です👍

お腹いっぱいになって上を見上げると、茅葺屋根の大きな裏側が見えます。これも中々の迫力ですよ。

食べ終わったころは4時を過ぎておりまして、さすがに列も無くなりましたね。お昼に伺った時の超蛇行列はビビりましたけど 笑

という事で、ここからは瓦町に戻ります。うどん巡りの順序が変わってしまいまして、もう一軒行く予定のうどん屋はパスする事にいたしました^^;

坂を下って屋島駅に向かいます。

続く。→次回 高松の打ち上げ花火とカクテルラウンジ

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