西播磨旅① 坂越ぶらり歩き──港町に残る歴史と海の景色

歴史と海が寄り添う町──坂越を、ゆっくり歩いてみる

今回は近場旅ということで、西播磨エリアを一泊二日で巡ります。
年の瀬が近づく中、短い時間でも気分転換ができる旅として、その様子をご紹介したいと思います。

2025年12月22日

実は当初、年末は九州への旅を予定していました。
しかし、なかなかまとまった時間が取れず、今回は予定を変更。
無理をせず、地元から気軽に出かけられる“近場旅”として計画することにしました。

向かう先は、地元から車でおよそ1時間。
今回は西播磨・赤穂方面を目指します。

出発は、仕事を少し早めに切り上げた定休日の前日、14時。
最初の目的地は、赤穂の一つ手前にある港町 「坂越」 です。


観光駐車場から、まずは町歩きスタート

まずは観光駐車場に車を停め、ここからは徒歩で散策開始。
海の気配を感じながら歩いていると、早速気になる景色が目に留まりました。

石垣に挟まれ、山へと続く古い石段。
その脇には「むかしの海岸線」と書かれた説明板が立っています。

どうやらこのあたり一帯、かつては海に面していた場所のようです。
気になったので、その石段を登ってみることにしました。


むかしの海岸線と、振り返る瀬戸内の景色

石段を登り切ると、特別な建物などがあるわけではなく、少し手つかずで荒れた雰囲気。
ですが、ふと振り返ると──

そこには、キラキラと光る瀬戸内の海。
穏やかな海岸線が広がり、思わず足を止めて見入ってしまいます。

「なるほど、ここが昔の海岸線だったのか」
そう思うと、何もないこの場所にも確かな意味が感じられました。

再び石段を下り、周辺を見渡すと「天満宮跡」と書かれた立て札を発見。
現在は、後ほど参拝予定の 大避神社の境内へ移設された とのことでした。


坂越大道と「とうろん台」

少し歩くと、海岸線から山手へと続く大きな通りに出ます。
その道が交わる海手側に「とうろん台」と呼ばれる史跡があります。

これは、かつて坂越沖を航行する船に向けて海洋気象などを知らせるため、
石を四角く積み上げて作られた架台。
もともと灯籠台だったことから「とうろん台」と呼ばれるようになったそうです。

坂越は、17世紀以降、瀬戸内海有数の海運拠点として発展。
西廻り航路の要所として、多くの廻船が行き交った町でした。

ここから山手へ続く通りは「坂越大道」と呼ばれ、当時の繁栄を今に伝えるメインストリートです。


旧坂越浦会所──町を支えた建物へ

とうろん台から坂越大道へ入る脇にあるのが 旧坂越浦会所
天保2~3年(1831~1832年)頃に建築され、
村の行政・商業を司る会所であると同時に、赤穂藩藩主専用の休憩所としても使われていました。

現在は内部の見学が可能で、坂越の歴史や文化に触れられる展示が並びます。
建物は天保3~4年(1832~1833年)頃の姿を再現しており、実に風情ある佇まい。

1階は土間と根太床が広がり、縁側や庭もあり、そこに資料や展示物が配置されています。
2階へ上がると、なんと8室もの和室があり、その一室から望む坂越湾の眺めは格別。

会所日記には、藩主やその家族、奉行たちが休憩や宿泊に利用していた記録も残っているそうで、
まさに「迎賓の場」でもあったことがうかがえます。


石畳と町家が続く、坂越の美しい町並み

再び大道を山手へ進むと、
昔ながらの町家と、整然と敷かれた石畳の通りが現れます。

この通りの雰囲気がとても良く、歩いているだけで旅情を感じます。
町家をリノベーションした飲食店やカフェ、酒蔵なども点在。

その一角にあるのが 坂越まち並み館
大正時代に建てられた「奥藤銀行 坂越支店」を修景整備した建物で、
現在は観光案内所も兼ねた施設となっています。

館内には、坂越ゆかりの展示品や帆船模型などがあり、
町の成り立ちをより深く知ることができます。

江戸時代末期、坂越の廻船は主に塩を運んでいましたが、
明治時代、塩の販売が政府管理となったことで、
船主たちは廻船業をやめ、銀行業へと転じていった──
そんな時代の流れも、ここで学ぶことができます。


甘いひと休み──坂利太のアラゴスタソフト

さらに大道を進むと、おしゃれなお菓子屋さんがあると聞いて立ち寄ったのが
「坂利太(さかりた)」さん

イタリア伝統菓子「アラゴスタ」をメインに、焼き菓子やソフトクリームを販売されています。
今回は、気になっていたアラゴスタのソフトクリームを購入(700円)。

エビのしっぽのような形をしたパイ生地「タッピ」と、
濃厚なソフトクリームの相性が抜群。
さらに生地の奥には、たっぷりのカスタードクリームが隠れていて、
まさに二度楽しめる贅沢なソフトクリームでした。


創業1601年──奥藤醸で日本酒を

続いて立ち寄ったのは、老舗の酒蔵 奥藤醸
創業は慶長6年(1601年)、江戸時代には赤穂藩の御用酒屋も務めた歴史ある蔵です。

坂越本通りは、かつて赤穂塩などの通商で栄えた旧坂越港への道筋。
今も酒蔵を中心に、落ち着いた町並みが色濃く残っています。

試飲も可能とのことでしたが、今回は車移動のため我慢。
この時期おすすめ(12月1日から販売開始)の「初しぼり・忠臣蔵」をお土産に購入しました。


旅の締めは、大避神社へ

坂越ぶらり歩きの締めくくりは 大避神社 への参拝。
大道の入口まで戻り、海岸沿いを北へ少し歩くと、参道が見えてきます。

大避神社(おおさけじんじゃ)は、坂越の宝珠山の麓に鎮座する、この町を代表する由緒ある神社です。主祭神は秦河勝(はたのかわかつ)をはじめ、天照皇大神、春日大神を祀り、創建の詳しい時期は定かではないものの、養和元年(1182年)にはすでに有力な神社として存在していたことが伝えられています。

現在の本殿は明和6年(1769年)、拝殿と神門は延享3年(1746年)に再建されたもので、境内には江戸時代から続く落ち着いた空気が漂います。拝殿の両脇にある絵馬堂には、坂越の人々が航海の安全を願って奉納した船絵馬が数多く掲げられており、その中には280年以上前の貴重なものも残されています。海とともに生きてきた坂越の歴史が、静かに伝わってくる場所です。

また、この大避神社は、毎年秋に行われる 「坂越の船祭り」 の中心となる神社でもあります。坂越の船祭りは、神社の神霊を神輿船に乗せて坂越湾へと迎え出す「海上渡御」を行う祭礼で、港町として栄えてきた坂越ならではの信仰行事です。神輿船を先頭に、獅子船や櫂伝馬船など十数隻の和船が幟や旗を掲げて湾内を巡航する様子は壮観で、この祭りは国の重要無形民俗文化財にも指定されています。

瀬戸内海の海運拠点として多くの船が行き交っていた時代、人々は航海の安全と町の繁栄を大避神社に祈り、その祈りが今も船祭りという形で受け継がれています。大避神社は、坂越の歴史と暮らし、そして海との深いつながりを今に伝える存在なのだと感じられました。

参拝を終え、鳥居の先に目を向けると、穏やかな坂越湾の向こうに生島が浮かび、町歩きの締めくくりにふさわしい静かな余韻を残してくれました。

参拝を終え、鳥居越しに望む先には「生島」が静かに佇んでいました。


次回へ──坂越の余韻を胸に、今夜の宿へ

大避神社での参拝を終え、静かな坂越湾を眺めていると、時刻はすでに15時半。
町歩きで心地よく歩いたあとの、少し落ち着いた時間帯です。

今日はこのあと、坂越を後にして今夜の宿へ向かうことにしました。
今回の旅では、久しぶりに「宿そのものを楽しむ時間」も大切にしたく、
少しだけ贅沢なプランを選んでいます。

お世話になるのは、坂越湾を望む老舗宿 「潮彩きらら 祥吉」
海の景色とともに、ゆったりと過ごせる宿として以前から気になっていた場所です。

町の静けさと歴史に触れた一日の締めくくりに、
どんな時間が待っているのか──そんなことを考えながら、宿へと車を走らせました。

次回、第2話では、
この宿で過ごしたひとときや、部屋から望む景色、
そして“何もしない贅沢”を味わった夜の様子を中心にお届けしたいと思います。

にほんブログ村 旅行ブログ 近畿お出かけスポットへ

にほんブログ村 旅行ブログ

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください